ちょっとした、こと。    


中間テストまで2週間、そろそろ勉学にもいそしむ必要が出てくる時期。    
清熊もみじは、野球部マネージャーの業務の合間を縫って図書室へと足を運んだ。

十二支高校は文武両道を提唱しており、部活が終わる時間よりも遅くまで図書室を開放している。    
おそらく部活にいそしむ生徒にも同様に勉学に励むチャンスを、という意図を持ってのことであろう。   

「ふう。今日も1時間くらいならいけるだろう。」   
もみじは図書室で勉強することを好む。
本が取り立てて好き、と言うわけではないが広い空間の静かな空気が集中力を増してくれる。    
格闘技をたしなむ(とは言わないかも知れないが)もみじにとって、図書室の空気は精神をたかめるのに合うようだ。      



「今日は・・・数学だな。」    

適当な場所に座ると、教科書を広げる。    
部活も終わった遅い時間帯、また2週間前という時期から図書室にいるのはもみじ一人。    

集中して勉強に入れそうだった。    


侵入者が一人、入ってくるまでは。    

キイ、と図書室のドアが開く。    
一問とき終わり、ほっとした瞬間だったのでもみじは反射的に顔を向ける。    


「猿野?!」    
「げ。暴力女?!」    

入ってきたのは校内どころか日本で最も図書室の似合わない男、猿野天国。    
ど素人で変態の野球部員。男として最低の存在。        

もみじはせっかくの時間が台無しにさせられる、と確信した。    
「てめえ!なにしに来た?!さては盗みか?!」    
「・・・お前な、オレをどーゆー目で見てるんだよ。」    

「変態犯罪者。」    
きっぱりというもみじに、天国はつっかかることもなく脱力した。    

「あー。反論する体力も今日はねーよ。
ベンキョしてんだろ?さっさと続ければ。いつもみたいにジャマしねーよ。」    


「当たり前だ。ジャマなんぞしてみろ。漢蹴りくらわせてやる。」   

「へーへー。」        

もみじはいつものように寒いギャグを飛ばすことも変な目で見ることもしない天国に違和感を感じた。    
しかし、本人の言ったとおり体力もないのだということにして、早々に勉強にもどった。    


静かな時間が過ぎていく。    


もみじはいつしか天国がいることも忘れていた。    

しばらくして、どうしても解けない問題に当たる。    
どの公式を使えばいいものか、見当がつかない。
見れば国立の入試問題である。    
(仕方ない、どれか参考書でも・・・)    

そう思い、もみじはノートから顔を上げた。    

(そうだ、猿野が来てたんだっけ。)    
校内一のトラブルメーカー、天国が図書室に入ってきていたことに今更ながらに気付く。    

どうやら約束は守ってくれたようだ。    


その天国はなにやら分厚いハードカバーを開いている。    
それがもみじには意外だった。    
こんな時間に天国が似合わない図書室に来るのは、余程の理由があったと思ったのに。    
見ているのは自分もあまり読まないようなハードカバーの本。    なにを読んでいるのだろう。     

純粋な興味を持って、もみじは天国を見ていた。    
「ん?なんだ?」    

もみじの視線に気付いたのか、天国は顔を上げた。    
もみじは驚いた。        


「お前・・・眼鏡・・・。」    
天国は見慣れないシルバーフレームの細身の眼鏡をつけていた。    

それは天国の印象を大きく変えている。    
いつもの天国はバカ面で大口を開けて笑っている、そんな明るい印象があるのに。    

今の天国は物静かな知的な雰囲気を持っていた。

また、非常に整った顔立ちをしていることに気付かせる。    
「綺麗」いつもの天国には決して似合わない言葉が、今の天国には最も適した言葉となっていた。    

「ああ、本読むときとか授業のときとかにだけな。」   
「そっか・・・。で、なにを読んでいるんだ?」    
「ん?ただの小説だよ。清熊も知ってんだろ?ヘッセだよ。「Uuterm Rad」。「車輪の下」ってやつ。」    
聞き慣れた、しかし普通なら日常的には聞かない名前。    

確かドイツ文学で最も有名な作品の一つ。    
小説とはいえそんな高尚な物を読んでいるとは。       


「「車輪の下」・・・は知っているが、猿野・・・お前、そんな物を読めるのか?!」    
「読めんのかって、お前。おれだってちゃんと人間ののーみそは持ち合わせてるんだぜ?字ぐれー読めるだろ?」    

「そうは言うが・・・。」    
つ、ともみじは天国の持っている本をのぞき込む。    
見慣れない文字の羅列。    

僅かばかりだが習ってきた英語でもない。    
「これ・・・何語だ?」    

「何語って、ドイツ文学だろ。ドイツ語だよ。」    
当たり前のように言う天国に、もみじは今度こそ本気で喫驚した。    

「ドイツ語ぉおおおおっ?!」    


「おいっ!」         
大声で驚くもみじに天国は慌てて口をふさぐ。    

「静かにしろって!遅いとはいえ図書室だろ?」    
「あ・・・ああ、すまん。」    
混乱の中でもみじは猿野天国という人物の印象を大きく変えざるを得ないことを悟った。        
「猿野・・・お前、何者だ?」    
「何者っつっても。十二支高校1年生で野球部のど素人部員。
 んでバカ面でやかましくて変態犯罪者。だろ?」    

綺麗な笑顔でくすくすと笑いながら話す。    
今の天国はどうみても知性あふれるハンサムな好青年である。   もみじは天国の笑顔に心を奪われそうな感覚を覚えた。    

「んで清熊。もう勉強終わりか?」    
「え・・・、いや、少し分からない問題があってな。」    
「ん?どれ、良かったら見せてみ。」    

天国は本にしおりをはさむともみじの座っていた席に向かった。   
「ん・・・これか。清熊、そっちの参考書のp56開いてみろ。
 この公式使ってみな。あっちゅーまにおわっから。」    

にっと笑って問題を解くように促す。    
もみじは言われたとおりの公式を使用してみると、
からまった糸がほどけるようにするりと答えを導き出すことが出来た。        
「すごい・・・」    

「だろ?公式さえわかりゃんな難しいもんでもねーよ。」       
「あ・・の、ありがと、な。猿野・・・。」    
「はい。どーいたしまして。」    

にこっ                  

極めつけの、笑顔。    
もみじにとって新しい関係が始まりそうな予感。    

友達も知らない、野球部の誰も知らない天国に       


今までと違う想いが生まれた 大切な 瞬間             


きっかけは ちょっとした ぐうぜん             

ちょっとした こと                                   




 end.


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