「猿野。」
誰もいない部活終了後の教室で。
うっかり忘れ物を取りに来た天国の、背後からかけられた声。
それに振り向いた天国は。
驚いた目をして、声の主を見た。
「…蛇神先輩…。」
それはまだ目の包帯が取れていない、蛇神の姿。
「なんで…まだその目じゃ…。」
その状態でなぜ学校にいるのか。
入院までは行かなくとも、学校は休んでいたのに。
それに、なぜ自分がここにいることが分かったのだろう。
聞きたいことは山のようにあった。
だが、それを聞くことも、その答えを得ることも、天国にはできなかった。
「わ…っ?!」
ガタン
静かな教室に大きく音を響かせて、天国は机の上に押し付けられた。
誰に、など言うに及ばない。
今この場所にいるのは、天国と…彼しかいない。
「な…蛇神さん…どうして…。」
おびえたような声で、表情の見えない相手に問いかけた。
すると、蛇神はやっと口を開く。
「……牛尾と寝たというのは本当か。」
「!」
低く響く声に、天国は一瞬凍りついた。
その気配を、蛇神が感じ取れないわけはなかった。
「…事実なのだな…?」
蛇神は天国の手首を押さえつける腕に力を籠める。
「何故だ…何故に我を裏切る…?」
蛇神は天国を愛していた。
思いを伝え、天国の体を何度も抱いた。
それが天国の答えだと思っていたのに。
「…牛尾キャプテンは何て言ったんですか?」
蛇神の血を吐くような声に、天国は驚くほど冷たく質問を返してきた。
その声に、驚きつつも。
どこか違和感がないように、蛇神は感じた。
「……主を抱いたと…。
我には申し訳ないが、自分も主を愛していると…。
背徳と思っても抱かずにはいられなかったと…。」
「ふーん…じゃ、オレが誘ったってのはもう聞いたんだ?」
「…!主は…!!」
蛇神は流石に怒りの衝動を抑えきれず。
天国の首に手をあてた。
次の瞬間。
天国の声は悲しげな色を含み、発せられた。
「……止めとけば。あんたに殺される価値は、オレにはねーよ。
そんな人生もったいねーことするんじゃねぇよ。」
「……猿野……。」
「あんたが愛してたのってこんな奴だよ。蛇神さん。
…見る目なさ過ぎなんだって。
あんたも、キャプテンも。」
その声はとても小さくて。だが、蛇神の耳にははっきりと届く。
「猿野…。お主、何故…。」
蛇神の力が緩んでいく。
その隙に、天国は蛇神の腕から逃れた。
「あ…!」
天国はそのまま、教室の出口に向かった。
そして出る瞬間、言った。
「これに懲りて、もうオレに惚れたなんて二度と言うな。
別にオレがこーゆー奴だって言いふらしたってかまわねーしな。」
振り向きもせずに。
天国は走り去った。
そして、その数週間後。
甲子園出場を果たしたその日に。
天国は野球部を退部した。
猿野天国の義父が、息子を虐待死させた罪で逮捕されたのは、その三日後の話だった。
end
ミスフル休みが長かったのでリハビリのつもりで思うままに書いたんですが…。
なんなんでしょうかこの救いも何もない話…。
暗い話好きです。ごめんなさい。(T▽T;)