昼休み、中庭で無防備に眠っている姿を見つけた。
密かに思いを寄せている相手、猿野天国の。
「チェリオ君?・・・熟睡しているのかい。」
牛尾はクスクスとおかしそうに笑いながら、隣に腰を下ろし中庭の木陰で眠る猿野の寝顔に見入った。
野球の名門、十二支高校のたった一人の素人。
いつも騒がしくて、脈絡のないギャグばかり言って、はしゃいで。
周りの印象は「ただの力バカ」というのが大部分だろう。
しかし…と牛尾は思った。
こうやって寝顔を見ていると、天国の顔が意外に整っている事に気づく。
癖の強い黒髪、意志の強そうな唇に眉、瞼を閉じていると、睫毛が意外と長い。
「ふふ、可愛いね…。」
引き寄せられるようにさらりと前髪に触れると、天国は身動きをし、うっすらと目を開く。
「ん…さわま…。」
不意に呼ぶ別の人間の名前。
それはいつも天国の側に居る存在。
牛尾の中に急激に黒い感情が湧き上がる。
「…じゃなくて、牛尾キャプテン…か。」
目をごしごしと擦りながら天国はゆっくりと身体を起こす。
自分の名を呼んでくれたことで、牛尾は少し落ち着き、いつもの自分を取り戻す。
「起こしちゃった?悪かったね。」
「んー…。いっすよ。沢松の奴トンズラしたみてーだし。起こしてくれて丁度良かったっす。」
やはり前世からの鬼ダチ(沢松談)とやらも先ほどまではいたらしい。
(僕はあのオールバック君の代わりかい・・・?)
牛尾は複雑な思いに駆られたが、目の前の天国の無防備な表情の方に気持ちが向いた。
「ねえ、チェリオ君。」
「…キャプテン…チェリオ君っつーのいい加減やめてくれません…?確かにオレが悪かったけど、しつこいっすよ・・・。」
まだ眠気が覚めていないのか、天国はいつもよりのんびりとした口調で不平を言う。
「じゃあ、天国・・・。」
名前で呼んでみる。ずっと心の中で呼び続けていた名前を。
突然名前を呼んだりして、君は驚くだろうな。
何でって・・・聞くかな。
そしたら何て答えようかな・・・。
牛尾は緊張していた。
9回裏ツーアウトノースリーフルベースで逆転サヨナラのチャンスの打席に立つよりも緊張していたかもしれない。
少なくとも牛尾自身はそう感じていた。
すると、天国は何事もなかったようににこっと笑うとこう答えた。
「なんですか?御門。」
にっこり。
み か ど ?
「ちぇ、ちぇちぇちぇちぇチェリオ君????!!!!」
今、何て……???!!!
「名前呼んで不意つこうとか考えてたでしょ。そう簡単にオレはひっかかりませんよ?」
天国はくすくすとおかしそうに笑う。
「だから反撃したんです。効果てきめんでしたね。」
いつもの大声の天真爛漫な笑いとは違う。
少し静かで、品があって…そんな微笑。
こんな笑い方もするんだ…。
牛尾は名前を呼ばれた驚きと照れと喜びの中で、天国の新たな表情まで見てしまい、混乱を隠せなかった。
「あの…チェリオ君。」
「天国」
「え?」
「もう忘れてるんですか?オレの名前。」
続いて、にやっとからかうような笑顔。
僕の知っている彼はこんな余裕のある表情をしていただろうか?
混乱が続く中、天国は牛尾の顔を下から覗き込むような姿勢で、牛尾の唇をそっと指で触れる。
「あ・ま・く・に。」
あと十数センチでキスできるような至近距離に居る天国に、牛尾は見も世もなく赤面しながら、もう一度愛しい名前を口にする。
「あ・・・まくに・・・?」
「合格。」
ちゅっ
羽のようなキス。
何が起こったのか、牛尾はしばらく気づくことが出来なかった。
「部活以外なら名前で呼んでもいいっすよ。起こしてくれたお礼にv」
天国の楽しそうな声が聞こえたような気がする。
「じゃあ、また。み・か・どv」
とどめ。
呆然とした牛尾を置いて、天国はチャイムと共に中庭を去っていった。
牛尾が正気を取り戻したのは部活が始まる直前の時間だったという。
おまけ
「天国、お前昼休みどこ行ってたんだよ。」
「ああ、わがユーティリティプレイヤーなキャプテンとお話してたの。」
「・・・・・・・・・・・・・・・罠にかけたんじゃねーだろうな?」
「さあな?」
本日の犠牲者
牛尾御門 18歳 男 十二支高校野球部主将
沢松健吾の日記より