「凪さん…。本当にありがとう…。」
「猿野さん…?」
私はあの時
彼の笑顔があまりにも綺麗だったので
気づく事ができなかったのです
ひだまりの詩
「猿野くん?!」
その日猿野さんはいつも通りに元気で部活に参加していました。
私も猿野さんがおかしな姿を見せるたびにとても明るい気持ちになって。
猿野さんはいつも私を気にかけてくれて、遠くからでも笑顔を向けてくれました。
私は猿野さんの頑張っている姿を見るのが大好きでした。
そしてそれ以上に猿野さん自身が…好きでした。
彼は気づいていないようでしたけれど。
初めて会った日からずっと私の眼は猿野さんだけを追っていたのです。
けれどあの日。
猿野さん守備練習中は主将の打球を受け取ったとたんに。
声もなく倒れてしまったのです。
最初皆はいつもの猿野さんのおふざけかと思っていたのですが。
傍によると猿野さんは何の反応もなくて。
体温も冷たくなっていって。
意識を完全に失っていました。
「猿野?!」
「おい、バカ猿!!」
他の野球部の皆さんも猿野さんに駆け寄りました。
事が思ったよりもずっと大事であることに、私も含めそこにいる全ての人たちがやっと気づいたのです。
「おい猿野!しっかりしろ!オレが分かるか?!」
羊谷監督が猿野さんの状態を見ました。
意識もなく、声をかけても触れてもつねっても何の反応もしません。
かろうじて息はしていましたが、脈も弱弱しくなっていたようです。
「猿野くん!」
「待て!無闇に動かすな。それより先に救急車だ!」
それからの事は、あまり覚えていません。
私は、ぼんやりと救急車で運ばれていくあの人を見送っていたようです。
翌日、猿野さんは当然でしたが学校には来ませんでした。
羊谷監督に聞いても、連絡は受け取っていないとの事でした。
他の部員の方も、猿野さんの事が心配でたまらない様子でした。
そのため、その日はあまり練習にならなかったようです。
「あいつがいないと…静かだよな。凪。」
もみじちゃんが私に気遣ってそう話しかけてくれました。
いつも猿野さんをキライだというもみじちゃんですが、本当は彼に一目置いていることを知ってます。
「そうですね…。猿野さん、大丈夫なのでしょうか…。」
お見舞いに行きたくても、行けませんでした。
運ばれた病院の名前も監督は言ってくれませんでしたし、猿野さんの家にはどなたもいらっしゃらなかったのですから。
いつも一緒にいる沢松くんも、学校には来ていなかったようでした。
数日後、猿野さんは学校に姿を現しました。
少し痩せたみたいですが、いつも通りの笑顔で。
「よっ!皆の衆〜大儀であったV」
「兄ちゃん!!!」
「猿野!!」
「猿野くんっ!!」
「てめえ、心配させやがって!!もう大丈夫なのかよ?!」
「なんだよ、心配してくれたのか?片貝V明美、うれし〜いっV」
「ぐわあああっやめろキモい!!」
猿野さんはいつものように元気に明美ちゃんになってはしゃいでいました。
そんな姿を見て、私は心から安心しました。
誰も猿野さんの病名を知らなかったのに。
「凪さん。ちょっと…いいですか?」
「あ…はい!!」
猿野さんからそう声をかけられたのは、猿野さんが学校に姿を現してから一週間ほどたったころでした。
「あの…なんでしょうか?」
私は少し期待していました。
あの事があってから、私は猿野さんが好きだと改めて思ったのです。
猿野さんも…もしかしたらって。
そんな風に考えてしまいました。
「あの、明日の日曜日…一緒に映画…行きませんか?」
「え…!」
それは…その、デートのお誘いでした。
私は1も2もなく返事をしました。
「はい!」
「あ…ありがとうございます!じゃあ10時に十二支公園で。」
猿野さんも私の返事にとても嬉しそうな表情を見せてくれました。
想いがかなったのかな。
そう 思いました。
遠くで猿野さんが他の男子にからかわれてるのが見えました。
「おいおい、ついにデートのお誘いかよ!!」
「このやろ〜。うまくやりやがったな!!」
「ひがむなひがむな、オレもうれしーんだよんV」
私も他のマネージャーの方に囲まれました。
「凪、はやまるんじゃねーぞ?!」
「凪ちゃん、他にもいい人は一杯いる・・・かも。」
「そうよ。あいつはちょっと…。」
「いえ、私は猿野さんがいいんです…。」
そう、はっきりと言ってしまいました。
だって、ずっと好きだったんですよ?
そんな言い方されたら、反論したくなってしまいます。
そんなこんなで、デートの日が来ました。
私は約束の30分前に着いたのに、猿野さんはもうそこにいました。
猿野さんもなんだか落ち着かなくて、来たって。
そう照れくさそうに笑っていました。
私と猿野さんの初デートは、とても楽しかったです。
映画はオーソドックスな恋愛モノでしたが、主演女優の方の演技がすばらしくて、つい泣いてしまいました。
その後は、一緒にごはんを食べて。
ショッピングしたり、お茶を飲んだりして。
気がつくと、辺りは暗くなっていました。
ああ、楽しい時間って本当に過ぎるのが早いんですね。
もう帰らなくちゃいけない時間なのは分かっているのですけれど
後もう少しこのままいたい。
「凪さん。」
そんな事を思っていると、猿野さんが声をかけてくれました。
猿野さんの顔を見上げると、とても真剣で、でも本当に綺麗な…、そう、綺麗な表情をされていました。
そして、猿野さんは私ににっこりと笑いました。
その笑顔はあまりにも綺麗でした。
彼の笑顔に見惚れていると。
彼は突然私の身体を抱きしめました。
とても力強い腕でした。
暖かくて、力強くて…愛しい。
恥ずかしいとも思いました。
でも、それ以上に嬉しくて、幸せで。
猿野さんは、私を抱いて言いました。
「凪さん…。本当にありがとう…。」
それだけ言うと、猿野さんは私の身体を離しました。
「今日は…凄く楽しかったっス!」
「は…はい、私もとても楽しかったです。」
「じゃあ、今日はこれで。」
「あ、はい!」
私も猿野さんも顔が真っ赤になっていました。
暗くなっていたのであまり見えないのが幸いでしたけれど。
その後、私の家まで送ってくださった猿野さんはずっと無言でした。
家に着くと、猿野さんはまたにっこりと笑いました。
「じゃあ…さよなら。」
「あ、はい。また明日。」