記憶


『おーい、ネヅッチュ〜!』
『部活、行こうぜ』


そうっすね。猿野くん。


そうやって笑って答えた。

こんな日がずっと続くんだと、疑いもしなかったのに。




######

あの日も僕は、彼が野球部をやめたことに意気消沈していた。

それは他の皆も変わりはしなかった。

せっかく、大きな目標に共にたどり着いたのに、何故君はいなくなってしまったのか。

僕には君の気持ちを推し量ることすらできなかった。

君が何を考えていたのか

何を思っていたのか

ただ、わけも分からずショックを受けていた。


だけど、あの日。


それ以上に、いや、それとは比べ物にならないくらいの悲報が待っていたのだ。



あの日、僕は落ち込みながらも朝練へといつもどおり向かった。
朝のニュースなど見る暇はなかった。
これは長年の習慣で、気にもしなかった。


だから僕はいつもどおりにグラウンドをならしていた。


すると、監督がいつもより早く血相を変えて集合を促した。



「…皆…、落ち着いて聞いていて欲しい。
 今…連絡が入ったんだが…。」


いつもとは全く違う、顔色の悪い監督。
何の連絡だろう。

僕らは不安に思っていたが、猿野くんの退部という衝撃以上のものがくるとは思っていなかった。


だから驚愕した。

足場がなくなるかのように。

全てが消えていくかのように。




「猿野の奴が…死んだ。」


殺された。



監督は悲痛な表情で言った。



#########

あんなに近くにいたのに、僕は気づきもしなかった。

全ては後から聞いた話で。

猿野くんはずっと義父から虐待を受けていたらしい。
猿野くんのお母さんは、その事実を知らなかった。

これも後から聞いた話だったのだけど。
猿野くんの両親は猿野くんが小さな頃に離婚していたのだ。
猿野くんのお母さんは、酒屋を切り盛りしながら猿野くんをたった一人で育てていた。

だから、再婚する時に猿野くんが断ることはなかった。
だけど、その義父は社会的地位こそ高かったが人格的には問題が多かったようで。

全ての鬱憤を新しく出来た息子にぶつけた。
暴力は勿論…考えたくもないようなこともされていたらしい。

そして、甲子園に出場することが決まった日の夜。
彼は大きな傷を受けたのだ。

甲子園での試合など望めないほどの傷を。


それなのに


僕たちは何も気づくことが出来なかった。

君の傷を、君の痛みを、君の涙を。

ごめんなさい猿野くん。

本当にごめん。

何も出来なくて。

ともだちなのに、君は僕を助けてくれたのに。

何も言わずに痛みをこらえて退部を伝えに来た君を責めた。


ごめんなさい。

ごめんなさい。


どんなに謝っても君は戻らない。


だけど言わずにはいられない。


ごめんなさい…。



#####

猿野くんの葬儀には、十二支の野球部の皆が来た。
当然のことだ。

何より蛇神先輩は猿野くんの恋人だったから。
蛇神先輩は、涙をこぼしてはいなかったけど、呆然としていたようだ。
彼のそんな顔は初めてだった。


牛尾先輩も悲痛な面持ちだった。
牛尾先輩も猿野くんを見つめつづけていたから。


皆みんな君が大好きだったのに。


気づけなくてごめん。


ごめんなさい…。



#########


甲子園は、大阪の豊臣高校に敗北し、僕たちの夏は終わった。


そういえば豊臣高校のピッチャーはどこか彼の面影を宿していたように思う。
物凄いピッチャーだった。
僕たちは手も足も出せなかった。

もし、彼がいたなら…と。
誰もが思っただろう。


彼ならきっとあの球威に押されることなく立ち向かって行ったに違いない。


そう、皆信じた。


#######

秋が過ぎ、冬が来てももう君は何処にもいない。


だけどどこからか、君の声がする気がするんだ。



教室から廊下から、グラウンドから…。


3ヶ月の短い君との時間は僕にどれだけ大きなものをくれただろう。


今でも、君の声は聞こえるんだ。



『子津ーっ!』


ほら、また。


『がんばろうな。』


壊れそうな笑顔と共に。




end

  「どうして…」の続編、という感じで。子津視点です。
  子津視点なので、蛇→猿←牛のただれた関係(笑)とはちょっと無縁です。
  ただせつな目の、痛い話かな?という感じですか。
  ちょっとかなり物足りないかもしれませんが…。
  これも趣味です。ご容赦を…。

 
  戻る